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親子で考える道徳10 泣かないで、強い子ね~泣けない子ども

泣かないで、強い子ね~泣けない子ども

 よくできたわね、泣かないでえらいわね、お母さんとても助かるわ、何でも一人でできるから・・・
子どもは叱らずに、ほめて育てましょうと言われます。そうだとしたら、これらの言葉はまさしくほめ言葉、
子どもに自信を摘持たせる言葉ではないのでしょうか。
そうとは言えないのです。子どもをほめたり、認めたりしているこれらの言葉も、ある状況の中では、
子どもに大きなプレッシャーをかけたり、親子の関係を断絶したりすることもあるのです。

 ある母子が相談に来ました。夫が数年前に他界した後、
夫の親せきとの人間関係等で悩んでいる母親の相談でした。
相談と言っても、母親は、大変ものの見方や考え方がしっかりしている方で、
テキパキと物事を処理しているように見えました。
余りにも完璧すぎるように見えることが、私には不安でしたが。母親が話している間、
小学六年生の女の子は黙って話を聞いていました。この子も母親に似て聡明そうな子でした。
数回の相談の結果、次週からは相談をやめてもいいだろうと考えていました。
その最後の相談の時でした。母親が、突然激しく泣き始めました。
夫のなきあとの数年間を、気丈に健気に生きてきたその強い気持ちが揺らいだのでした。
辛かった分だけ、その嗚咽も深いものでした。
黙ってそれを見ていた女の子が、母親に聞きました。

「お母さん、泣いてもいいの?」
この子は今まで泣けなかったのです。
ここ数年、母親が突然の環境の変化に必死に闘っていたことを知っていたのです。
小さいころから泣いてはいけない、と教えられていたのかもしれない。
どんなに苦しい時にでも、泣かずにいるとほめてもらえたのかもしれない。
「あなたは強い子ね、お母さん、あなたのことが大好きよ。」
この子はお母さんに褒められたくて、母親を喜ばせたくて、泣きたくても泣けないでいたのです。
ここにきて初めて見る母親の泣く姿。泣いてもいいんだ。
堰を切ったようにその子は泣き始めました。
泣いている母に抱かれ、女の子も思い切り泣きました。
この時の相談以来、二人には会っていません。
でも彼女たちは母子関係を好ましいものに変え、
二人で(時には泣きながら)厳しい環境に立ち向かっていることでしょう。
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親子で考える道徳9 あなたって、いつも~固定観念

あなたって、いつも~固定観念

めはみえる
うまれたときから 
でも みることは
みえることとはちがう
みることは また だれかのつばさをかりて とぶこと
― のってごらん とんぼに
あなたもめを あるかせるんだ。
 みることで みえるものを じぶんのものにしよう。
      『めであるく』(マーシャ・ブラウン 佑学社)

 同じ道を歩いてきたのに、きれいに咲いていた花を見た人と見なかった人がいます。林の中にいても、鳥の声が聞こえる人もいればそうでない人もいます。一秒間に十万ビットといわれる情報は、それを受ける人の「問題意識」の有無によって情報になったりならなかったりします。私たちの目は「偏見」で曇っているのです。我執や先入観によって見えているものを見えなくし、見えていないものまでみてしまうのです。恋は盲目、あばたもえくぼ・・・
 我執や偏見、自分の立場にこだわった見方―この固定観念を打ち破ってものやことを見ることは簡単なことではありません。自分の狭い見方を打ち破る一つの方法が「だれかのつばさをかりて とぶこと」なのだと思います。「だれかのつばさをかりる」とは、違う立場の人の視点に立つということ、「もし私が~だったら」と考えることなのです。
 子どもたちはさまざまな悩みを抱えながら、日々成長してゆきます。目の前にいる子どもは、昨日までの子どもと違うのです。でも、なかなかそうは見えません。
何とかこの子の成長を支援したい、一緒に歩んであげたいと言いながらも、「まったく、あなたって、いつもおなじことばっかり・・・・」と、つい言ってしまいがちです。その固定観念が、子どもが発するさまざまな情報を、正しくキャッチできなくしているのです。早い時期から「この子はこういう子」と、先入観や偏見で決め付けてしまえば、子どもからの情報を正しく受け取ることができなくなってしまいます。
 もし私が、この子だったら、もし私がこの子のおばあちゃんだった、パパだったら・・・、そう考えることによって、新たなものの見方ができます。単眼ではなく複眼でものやことが見られるようになります。自らの固定観念にとらわれず、より広いものの見方・考え方を身につけ、目の前の子どもの向き合いたいものです。

親子で考える道徳8 名付けられた朝顔 #道徳

名付けられた朝顔~命を育てる

あいちゃんとマー君はお隣同士。二人のお母さんも仲良しで、花を育てるのが大好き。
あいちゃんとマー君も、お母さんたちと一緒に朝顔を咲かせることにしました。
お母さんからもらった青いプラスティックの花鉢に、それぞれ数個の種をまきました。

しばらくたった朝のことです。マー君の家からお母さんの大きな声が聞こえてきました。
「マー君、朝顔にお水あげてないでしょ。もう、葉っぱが出てきているわよ。」
マー君は、聞いているのかいないのか、部屋から出てきません。
仕方なくお母さんは、いつものようにマー君の朝顔に水をあげました。
「まったく、家の子ったらすぐに忘れてしまうのだから。」

お隣の庭にあいちゃんの姿が見えました。
あいちゃんは小さなじょろを使い、何かを話しながら、朝顔に水をあげています。
「おはようございます」
あいちゃんのお母さんがマー君のお母さんに声を掛けました。
「おはようございます。あいちゃんは植物が好きね。
 うちのマー君たら、あんなに朝顔に水をあげることを約束したのに、
 ほんとうに忘れてばかり。あいちゃんはお利口だから、言われなくてもお水をあげているみたいね。」

あいちゃんのお母さんが答えます。
「家の子はね、種をまくときに、朝顔に名前を付けたのよ。
 ほら、犬にも猫にも、金魚にだって名前を付けたりするでしょう。
 だからね、名前を付けたらといってみたの。そうしたら、名前を付けたのよ。
 ナナちゃんてね。どうしてって聞いたら、ナナという名前が好きだし、大きな花が七つ咲いてほしいからだって。
 朝起きると、私が何を言わなくても、すぐにナナちゃんに挨拶に行くの。
 何か話をしながら、水をあげてるみたいよ。」

あいちゃんの声が聞こえてきました。
「ナナちゃん、早く大きくなってね。」
あいちゃんの花鉢には、赤いクレヨンで「ナナ」と書かれた名札が立っています。

親子で考える道徳7 お月様が着いてくる #道徳

お月様がついて来る~科学的でなくてもいい

「お母さん、お月様がついて来るよ。どうして。」
駅を出た電車が、ビル街を抜けた頃、男の子が問いかけました。
私の前の席に座り、額を窓ガラスに押しつけて、外を見ていた少年です。
いくら見ていても、月が見えなくならないで、自分の見ている窓ガラスの同じところにあることを、不思議に思ったのです。
秋になったばかりの澄んだ東の空に、満月が上がっていました。

 本を読んでいた私は、思わず顔を上げ、母親の顔を見ました。
見たところ、小学校入学前の子どもにとっての、不思議な現象を、どう教えるのだろうか、と。

 月までの距離は約40万キロ、駅を出てここまでが約10キロ、
月を横に見て走った距離は、月までの0.0025%。
月までの距離に比べたら、電車は移動していないのに等しい。
遠くのものほどいつまでも見えている。こんな説明が、幼稚園の子どもに判るのだろうか。
 お母さんは、子どもに肩を寄せ一緒に月を見ながら言いました。
「本当ね、ついて来るわね。・・・あなたはどうしてだと思うの。」
「あなたはどうしてだと思う」と聞かれたその子は、しばらく見ていた月から目を話し、お母さんの方を見て答えました。
「ぼくのこと好きなのかなあ。」
「お母さんもそう思うわ。お月様は、あなたのことが大好きだから、いつまでもついて来るのよ。」
息子の肩を抱いて、優しくささやいたお母さん。
息子は納得したようにまた「大好きな」お月様を眺めました。

 なんて素敵なお母さんなのでしょう。
子どもの疑問を、しっかりと受け止めています。
その上で、子どもの思いを信じ、子どもに答えを考えさせています。
もし子どもが答えられなかったら、お母さんはきっとこの答えに息子を導いたのでしょう。

 子どもは、大人が考え付かないような疑問をぶつけてきます。
それに、すべて科学的に答えなくてもいいのです。
子どもが本当に納得するような方向に導いてあげることが大切なのです。
きっとこの子は、「大好きなお月様」に愛着を感じたことでしょう。
成長するにしたがって、必ずお月様に対し、科学的な見方もできるようになっていくことでしょう。

 間もなく電車は次の駅へ到着し、二人は降りていきました。
私は、本を読むのをやめ、いつまでもついて来る月を眺めました。

親子で考える道徳 6 耳の無いお父さん #道徳

耳の無いお父さん~父親の役割

参観日耳無き父を描く園児パパは話を聞いてくれない  宙

保育参観に来た父親に、耳の無い父親の絵を渡した子ども。父親はそれを見て「もっとよく見て描けよ」といいました。
子どもは黙って父親から離れて行きました。
このお父さんは、日ごろから子どもの声に耳を傾けないで、自分の考えを伝えるだけのお父さんなのです。
子どもはそれが嫌で「耳の無い」、話を聞かない、父親の絵を描いて抗議したのです。

 家庭における父親の役割は、何なのでしょうか。
お母さん方は「しかり方やほめ方」など、子育てについて、園や学校で話を聞く機会があります。
しかし、お父さん方は、そのような機会が少ないし、なかなか時間もとれないのでしょう。
子育ては、どうしても母親の負担が大きいように思われます。

子育てには当然ながら、「母性」と「父性」の両方が必要です。
母性とはあたたかく全体を包み込むこと、父性とは厳しく物事を分断し判断することでしょう。
この二つがあいまって、子どもを健全に育てるのです。
それぞれの家庭には、それぞれの「家風」があります。
それぞれの家庭の「雰囲気」が知らず知らずに、子どもの成育に大きな影響を与えているのです。
その「家風」は「母性」と「父性」のバランスによって、違ってくるのでしょう。
いずれにしても子どもを育てることは、母親だけの仕事ではありません。

お父さんはその特性上、ともすると「共感する」よりも「問題解決」に走りがちです。
話をゆっくり聞くことなく「それはね、こうなんだよ」「こうすれば解決するよ。」といいがちなのです。
お母さんや子どもは、ただしっかりと、自分たちの思いを受け止めてほしいだけなのに…。

お母さんと子どもたちとの関係は、生まれたときから、いやそれ以前から直接的なものです。
それに比べ、十二歳ぐらいまでの子どもたちにとって、
父親との関係は、間接的なものに過ぎないことが多いでしょう。
だからといって、子育てがお母さん方だけの仕事だというのではありません。
父親を舞台の「床」にたとえた人がいます。
「どんなに飛んでも跳ねても滑ったり転んだりしない、母子が共に安心できる環境を作る」ことだと。
「母親の後ろ盾」になるのが、父親の役目だとも述べています。

お父さんの得意なキャッチボールを、子どもや奥さんとの会話にも生かしてほしい。
まずは、しっかりと思いを受け止めてから、ゆっくり投げ返してほしいものです。


テーマ : 幼児教育
ジャンル : 育児

プロフィール

加藤 宙

Author:加藤 宙
俳句や短歌,日々の思い等をつぶやきます。絵本を好んで読み、「幸福とは何か」「わかるとは何か」「祈りとは」などについて考えています。日が暮れる頃、美味しい肴で至福の時を迎えます。「塔」短歌会。

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